少子化は男性が原因

少子化を解決するために、モテる男性を増やそう。


序:処女懐胎や単為生殖を信仰する 現代日本の少子化対策

これまで、少子化対策の対象として「女性」にばかり焦点が当てられていた。 保育所の拡充や育児休暇の充実など。 あるいは、独身の女性地方議会議員に対し、「結婚しろ」と野次が飛んだことも記憶にあるだろう。 出産は女性の仕事、というのが一般的な見解ではなかろうか。

確かに、子供を産むのは女性である。 しかし、誰でも知っていることであろうが、ホモ・サピエンスは単為生殖を行う生物ではないし、日本の女性は誰一人として聖母マリアでもない。 子供は、男性・女性の両方が揃わないと生まれないものである。 それなのに、なぜか独身の男性議員には野次は飛ばないし、男性を少子化対策の主軸に据えた政策が掲げられたことも寡聞にして聞かない。 男性に対する少子化対策が十分に行われていないことこそが、少子化の原因である。

男性への少子化対策といえば、すぐに「イクメン」に代表される男性の育児参加や、そのための長時間残業削減への動きは、成果はともかく既に行っているではないか、という意見がありそうだが、「イクメン」は21世紀初頭の日本が抱える男性の問題に対してほとんど効果がない。 なぜならば、男性の育児参加の有無が出産の決断に大きく影響するとは思えないし、「イクメン」は既に子供が生まれた後の話であって、問題は子供が生まれるまでの部分にあるからである。

欧米と比べて婚外子の非常に少ない日本では、出産の前提として結婚があると言っても過言ではない。 そして、21世紀初頭の日本では、結婚の大半が恋愛結婚である。 つまり、恋愛→結婚→出産という流れを増やさない限り、少子化を止めるのは難しいと言えるだろう。

実は、少子化の真の原因は恋愛の成就が難しくなったことであり、そしてその原因のほとんどが男性にある。 どうして恋愛の成就が難しくなったのか。どうしてその原因が主として男性なのか。それを、これから解説していこう。


1:なぜ主に男性に原因があるのか

序章では、少子化の原因は成就する恋愛が減少したことにあることを述べた。ここでは、なぜその原因が男性にあるかを追究する。 あくまで一般論として、恋愛は男性からアプローチし、女性がそれに応える形で成就することが多い。 例えば、調査結果を見ても、男性より女性のほうが告白された人数が多い、つまりアプローチをするよりも受ける側にある、ということが読み取れる。 もちろん、女性からアプローチして始まる恋愛も多数ある。 だが、それより多くの恋愛が男性が動くことで始まっていることを、まず把握しなければならないだろう。

そこで思い出して欲しい、数年前、「草食系男子」という言葉がマスコミを賑わせたことを。 「草食系男子」は、常に恋愛において受身であり、女性に積極的にアプローチをしない。 彼らは恋愛の対象として、女性のほうから声をかけてもらうのを待っているのだ。 しかし、上記の通り、一般的に女性は恋愛において自ら積極的に動くことは少ないので、彼らが恋人を得る可能性は極めて低い。 かくして未婚率が上昇し、出生率が低下する、ということになる。

これをお読みになって、恋愛は男女両性が当事者となるのに、なぜ男性だけに原因を求めるのか、という反論があるかもしれない。 この反論には、二つのパターンがあるだろう。 一つは、女性からももっと男性にアプローチするべきでは、という意見である。 もう一つは、男性からアプローチしても女性に拒否されるか、女性に拒否されるのを傷つくことを恐れて恋愛ができない。 女性は、もっと多くの男性を恋愛対象と見るべきだ、という主張である。 だが、この反論は二つとも的外れである。それを2章で説明しよう。


2:動物の基本はfemale choice

1章では、男性が恋愛に消極的になったことが、恋愛の成就を遠ざけた原因であると述べ、それに対して女性にも原因があるのではという反論があることを示した。 一つは、「女性からももっと男性にアプローチするべきである。」 もう一つは、「男性からアプローチはしているが、いつも女性に断られる。 女性はもっと多くの男性からのアプローチを受け入れるべきだ。」 だが、この二つの批判は、どちらも基本的な恋愛、生物学的に言えば「配偶行動」に対する認識が欠けているため、著しく的外れな意見となっている。 いかに男女平等が進もうとも、恋愛においては永遠に男女は平等になれないからである。

そもそも、ホモ・サピエンスをはじめとする哺乳類の配偶行動は、ほぼすべてが「female choice」(メスの選択)である。 例外は後述するタツノオトシゴくらいである。 その理由は、子育てにおけるコストに圧倒的に差があるからである。 子孫を残すために、射精するだけの男性に対して、妊娠・出産・授乳をする女性。 その差はあまりにも大きい。 単に機会費用だけで比べてみても、ヒトの場合は男性は射精して3日も待てば精子の量が回復するのに対し、女性は妊娠して授乳が終わるまでおよそ2年は次の子供を持つことができない。 男性は相手を選び間違えても3日の損失で済むが、女性は相手を間違えると730日を棒に振るのである。 単純に計算するだけでも二百倍以上もの差があるのだ。

よって、オスは相手を選び間違えても失うものが少ないので可能な限り多くのメスにアプローチする、メスはそのコストが高いので慎重に最善の相手を選ぶ、という配偶行動が生物学的に自然である。 一生涯の限られた時間を投じるに値する相手でなければお断りのメスと、極論を言えば生殖機能さえ正常に機能していれば相手は誰でもいいオスでは、相手を選ぶ基準も天と地ほど違うのは当然である。 オスは、ほかのオスより圧倒的に優れた個体でなければメスに拒否されるのは当然のことであるが、それを理由にメスを求めることをやめてしまえば遺伝子を残せないため、何度断られてもメスを求め続けるのが掟である。 メスの立場からすれば、黙っていても数多くのオスが求愛に来るのだから、自ら相手を探すことにコストをかけるのは不利である。 すなわち、メスからアプローチし、オスはそれを待つ、というのは極めて不自然である。

ほぼすべての生物は、オスが求愛し、メスがそれを受諾するか、あるいは拒絶するという形で配偶行動が行われる。 オスが体内で子供を育てるタツノオトシゴが、ほぼ唯一の例外である。 これは、もちろん哺乳類であるヒトでも同じである。 もちろん、現代の社会では男性も子育てに携わるのが普通であるので、上記の野生動物における議論がそのままには成立しない。 だが、我々は肥満になるリスクを承知しながらも、かつて飢餓の中で生きてきた名残でカロリーの高いものを好んで食べるように、遺伝子に刻み込まれた行動パターンにおいては、メスを巡って多数のオスが命を懸けて争い、勝ち残った一匹のオスがハーレムを作ってメスを独占する野生動物のそれと差異はないのである。

実際に、現在でも一夫多妻を認める国家は多数あれども、一妻多夫は非常に少ないし、一夫一妻であるはずの日本でも、生涯未婚率は(人口の男女比を大きく凌駕して)男性のほうが高いのである。 つまり、一人のモテる男性が時間差をおいて複数の女性と結婚している裏返しで、一人の女性とも選ばれることなく生涯を終える男性がいるということだ。

恋愛が成就しない原因は、男性にあり、女性にはない。 男性が女性に認められるための努力、もしくは女性にアプローチする努力を怠っているのが原因であり、女性に相手を探すための努力を求めたり相手を選ぶ基準を下げることを求めるのは生物学的に不自然だ。 恋愛しなくなった原因が男性にあることを確認できたところで、続く3章ではその更なる原因としてよく論評されている経済的問題に対しての意見を述べよう。


3:収入と婚姻に因果関係なし

引き続き、2章で取り上げた「アプローチしても女性に断られる」に関連する反論をしたい。 この立場で議論する人の多くが、婚活や恋愛の場で女性が男性の収入を基準に選んでいる、という話を論拠とし、以下のような命題を導こうとする。 「非正規雇用の増加や長引く不況による賃金の低下が原因だ。若者はお金がないから結婚できない。」 この論は、確かに社会的に耳目を集める非正規雇用、ワーキングプアの問題と結びつけてセンセーショナルに取り上げられるし、 判官贔屓の評論家にも受けがいい。だが、それと内容の真偽は別の話だ。

確かに、収入と婚姻率には正の相関がある。 しかし、相関関係と因果関係を間違えてはいけないというのは、統計学の基礎で習うはずだ。 分かりやすい例を出すと、アイスクリームの消費量と水難事故の統計を取ると、両者に正の相関がある、よってアイスクリームを食べると水難事故が増えるので、アイスクリームを水辺で売ることを禁止しよう、と言っているようなものだ。 もうお分かりだろう。暑い日はアイスクリームがよく売れるし、水遊びをする人も増えるから、水難事故も増える、というのが真実である。 アイスクリームを禁止したところで、水難事故の件数が減るはずがないだろう。 しかしながら、なぜか恋愛や結婚を論じるときには、アイスクリームを禁止しようとするようなおかしな論理がまかり通っている。 では、アイスクリームと溺死の相関における「暑さ」に対応する、収入と婚姻率の相関の裏にある真因は何なのか。それを4章で述べる。


4:対極的な二つの男性像:マイルドヤンキーとオタク

3章で収入と婚姻率には相関関係はあっても因果関係がないことを示唆したが、この議題をさらに掘り進めていこう。 さて、ここまで恋愛しない、できない男性にターゲットを当ててきたが、世間で言われる晩婚化や少子化はどこ吹く風、20歳前後で結婚し20代前半で父親となる男性も、少なくない数が存在している。 彼らの中にはいわゆる「デキ婚」もいるだろうが、高卒で就職し、在学中からの恋人とすぐ結婚、そして子供ができるというパターンも多々ある。 あるいは、大卒であっても在学中から結婚が決まっているケースもある。 彼らは一時期マスコミでも話題になった「マイルドヤンキー」の一形態とも言えるだろう。 彼らの収入は、決して高いとは言えないだろうが、それでも若くして夫となり、父親となることができた。 ましてや、在学中から結婚を決めるとなると、収入で選ばれたわけではないのは明白である。
高校の卒業式でプロポーズ
一方で、いわゆるオタクという男性を見てみよう。 アイドルオタク、アニメオタク、鉄道オタクなど、彼らの趣味に投じる金額からして、決して低くはない収入を得ていることは間違いないだろう。 だが、彼らの多数が独身である。いくらお金があっても、彼らと交際ましてや結婚しようと思う女性など皆無に等しいだろう。
罵声を上げる鉄オタ
いや、オタクはまだマシかもしれない。 最近は「準ひきこもり」と呼ばれる人までいると聞く。 彼らは学業はまじめにこなすものの、友達もおらず、就職活動も自分から動こうとしない。 もし、教授の斡旋などで就職が決まったとしても、彼らが恋愛の相手を見つけることは、今日、空を眺めて新しい彗星を見つけるよりも確率が低いのではなかろうか。

これだけを見ても、収入と婚姻に因果関係があるという説の出鱈目さははっきりしただろう。 その反面で、何が男性にとって配偶者の有無を決めているのかが分かったのではないだろうか。 マイルドヤンキーにあってオタクにないもの、デキ婚にあって準ひきこもりにないもの、それは「恋愛能力」、端的に言えば「コミュ力」である。

2章で述べたように恋愛は基本的に女性に選ぶ権利がある。 収入や社会的地位に大きな差のない学生時代は、本人の持つ魅力、つまり広い意味でのコミュ力により、残酷なまでの女性による選抜が行われるのである。 社会人になっても、その構図は変わらない。 なぜならば、企業の採用活動も、以前の学歴重視から、コミュニケーション力を求める傾向が強くなっているからだ。 コミュ力の高い男性ほど高収入な職業に就きやすく、女性にも選ばれやすい。 これが、一見すると高収入な男性がモテるように見えているだけである。 (実を言えば、少し前の世代までは、コミュ力が低くても高い収入を得て結婚することが可能であった。それについては後述する。)

そう、収入が高いほど婚姻率が高いのは、決して給料の高い男性が結婚相手として選ばれやすいのではなく、女性に選ばれるコミュ力がある男性は、高い報酬を払う企業にも選ばれやすいというだけなのだ。 非正規雇用の正規雇用への移行や、若者世代の賃金向上は、確かに経済的・社会的には大きな意義があるが、こと少子化対策においては本質から外れていると言わざるを得ない。 非正規雇用の賃金がいくら上がろうとも、コミュ力の低い男性は見向きもされない。 これまでの文章をお読みいただいたならば、コミュ力の低い男性が少子化の遠因であることは把握できたであろうが、 5章ではなぜ最近になってそれが問題になってきたのか、という論点に移りたい。


5:1世紀以上続いた男性バブル

さて、4章では男性の婚姻において「コミュ力」が大きな因子であることを述べた。 しかし、近年になって日本人男性のコミュ力が低下したという話は聞かない。 では、なぜ最近になって急に恋愛においてコミュ力が重視されるようになってきたのか、今度は歴史、社会的な面から取り上げたい。 最大の原因は、産業構造の変化である。

近世以前の日本では、農業が主となる産業であり、男性も女性も生産活動に携わっていた。 男性も女性も働かなければ自分たちの食い扶持さえ生産できなかった、とも言い換えられる。 現に、飛鳥時代から奈良時代の口分田は女性にも男性の2/3の面積が割り当てられた。これは男女差別というよりは、男女の体力差を考慮してと思われる。

しかし、明治以降近代化の道を走る日本の産業構造は、第一次産業から第二次産業へ、第二次産業の中でも繊維などの軽工業から重化学工業へと急速に重点が移動した。 また、それを支える鉱業も盛んになった。 重化学工業や鉱業の多くは、扱うのに腕力を要する大型の機械を扱う仕事であり、また劣悪な環境での体力を用いた労働も少なくなかったため、それに携わる労働者の多数が男性であったのは必然と言えよう。 また、かつて地方の農村や漁村で第一次産業や小規模な工業に従事していた人たちが、都市へ出て大工場で働くようになってきた。 いわゆるサラリーマンの誕生である。そして、農業より飛躍的に高い工業の生産性をもってすれば、もはや女性は生産活動に従事する必要がなくなったのだ。

かくして、労働を経て生活の糧を得るのが男性の役割となり、言い換えれば経済力を男性が独占した結果、本来の生物学的な男女の力関係は逆転し、戦後の日本における配偶行動は「male choice」の時代になったといえる。 もっとも、女性からも「収入」という軸による選択が働いたものの、右肩上がりの高度経済成長と終身雇用の世の中ではそれが問題になることは少なく、男性は恋愛の場において選択される側ではなかったのだ。 しかも、明治に成立し、戦後に廃止になったものの人々の精神には最近まで残っていたイエ制度により、女性は父親に、夫に従属するものとして自由な恋愛は抑圧され、恋愛・結婚の場で自ら主体的に男性を選択しづらかった。

それに加えて、1945年までの日本は何度も戦争を行っている。 特に悲惨な太平洋戦争により多くの男性が命を落としたため、当時の若者世代は男性不足・女性過剰となり、男性が結婚相手を見つけるのに比較的苦労しなかった。 2章で掲載した生涯未婚率のデータをもう一度見直していただきたい。 戦後しばらくは、現在とは反対に女性の生涯未婚率のほうが男性のそれより高かったのだ。 それだけ、女性が余っていたということである。 4章で少し触れたが、この時代の男性は、就職さえできれば、現代ほどモテるための努力などしなくても、自然と女性が寄ってきたのだ。 (もちろん、そうした女性たちは男性の人柄に惚れたわけでなく、単に食っていくための経済力が欲しかっただけではあるが。) 男性は、青少年期はひたすら勉学に励み、いい学校からいい会社に入れば一生安泰、恋愛なぞできなくても自然とお見合いで相手が見つかった。 むしろ、若いうちから恋愛にうつづを抜かしてまともな職に就けないほうが、人生において大きな失策であった。

明治以降の日本は、本来は女性から選択される立場であるはずの男性が、女性を選択できるほどに価値が高かった、いわば「男性バブル」であったのと言えよう。 問題は、そのバブルが経済のバブルと違い、1世紀以上も続いてしまったことなのだ。 たった数年のバブル経済でもその後の日本経済に20年以上に亘る禍根を残したように、男性バブルが恋愛に落とした影は大きい。 続く6章で、男性バブルはどうして崩壊したのか、それが恋愛事情にどのような影響を与えたのかを解明していこう。


6:現代の日本の恋愛事情

5章で述べた通り、近代の日本では男性バブルにより恋愛において男性が有利な立場にあった。 だが、男性バブルは(経済の)バブル崩壊と時を同じくして、急速に崩壊していく。 1980~90年代から徐々に到来した経済の情報化・サービス化により、第三次産業の比率が増加したのがその背景にある。 第三次産業は、大型の機械を使うことは少なく、女性も存分に労働力となることができる。 むしろ、サービス業などにおいては女性のほうがふさわしい場合さえある。 また、かつては体力面から男性が独占していた大型の機械を扱う業務も、省力化が進んで女性でも扱えるようになってきた。 数十年前、パワーステアリングのないトラックを女性が運転するなど想像すらできなかっただろうが、現在では女性のトラック運転手も多数存在している。

今や自ら稼ぐ手段を手に入れた女性は、食べていくために好きでもない男性とお見合いして結婚する必要はない。 経済的制約により制限されていた、天賦の選択の権利を取り戻したのである。 その帰結として、もはや女性は男性を収入では選ばなくなった。 多くの女性が、結婚相手に「思いやり」や「癒されること」を 求めている。(収入は「安定している」ことを挙げただけで、「高収入」は上位に入っていない。)

さらに、携帯電話やEメール、さらにはSNSが普及したため、前の世代よりは数多くの男性から、自分の夫となる男性を選べる。 もちろん、男性のほうから見ても恋愛対象となる女性は増えたはずだが、前に述べた通り、選択の権利は本質的に女性にあるから、男性が女性と結ばれるには相応の努力が必要である。 今や、どれだけ収入が高くても、女性に選ばれるための努力、例えば女性への優しさや思いやりを、言い換えればコミュ力がない男性は女性から相手にされない。 そして、恋愛できない、結婚できない男性の多くはその事実に気が付いていない。 ちょうど、バブル崩壊を境目に企業の採用基準が学歴重視から人物重視に移ったため、高学歴の就職難民が発生したのと同様に。 また、単に女性に選ばれるためにコミュ力、言い換えれば恋愛スキルを磨く努力をするだけでなく、それを活かすために女性に積極的にアプローチすることも男性の義務なのだが、これも果たさない男性が多い。 収入さえあれば何もしなくても結婚できた時代と違い、今の女性は数多くの(上記の技能に勝る、つまりモテる)男性からのアプローチを受けているので、そのライバルを押しのけて女性に選ばれるためには、積極的な男性からのアプローチが必須なのは言うまでもない。

さらに、恋愛バブル以前とも決定的に違うのは、近代以前には「若者組」などの地域コミュニティや「夜這い」などの習慣を通じて、一定の年齢になれば異性との交流を自然と学ぶ機会があり、たとえ異性に選ばれる魅力や異性を求める積極的な行動をしなくても結ばれるチャンスは少なからずあった。 だが、それが崩壊した今となっては、多くの男性は野生動物のオスと同様に、熾烈な女性による選択に晒され、恋愛が下手な男性は女性から選択肢として検討されることさえなくなった。 その競争のあまりの激しさに、「降りる」選択をしたのがいわゆる草食系男子かもしれない。 この状況を、「恋愛社会主義の崩壊」と名付けて、さらに踏み込んだ考察を7章で行う。


7:日本の恋愛社会主義は崩壊した

5章で述べた通り、日本の恋愛においては男性バブルであった20世紀。 一転して世界の政治に目を向けると、激動の時代であった。 社会主義、ソビエト連邦という人類史に残る実験が行われた。 近代的福祉国家の確立や労働者の権利向上など資本主義諸国に与えたプラスの影響も大きいが、一般的には労働意欲の減退による生産の停滞や、競争がないことによる非効率な産業、あるいは市民の需要を無視した統制経済などのため、社会主義は失敗したというのが一般的な評価ではなかろうか。

一見遠く離れて見える恋愛と政治、日本とソ連。 しかし、類似点がある。 戦争による男女比の不均衡と、高度経済成長による男性の経済力独占により、恋愛が苦手な男性、女性に選ばれるべき努力をしない男性でも平等に結婚できた、というのは、意図せず成立してしまった「恋愛社会主義」といっても間違いではないだろう。 ソ連が崩壊した後、接客を知らない店員がたくさんいたのと同じように、現代の日本には恋愛を知らない男性がたくさんいる。

ところで、一部の論客は、少子化への対策として「男は仕事、女は家庭」への回帰を範とする、すなわち恋愛社会主義の復活を望むような論を唱えているようだ。 だが、恋愛社会主義はソ連と同様に既に失敗している。 恋愛社会主義は戦争と重化学工業の勃興が引き起こした一時的なバブルに過ぎず、生物学的にも社会的にも不自然で、長期に維持されるべきものではない。 明治時代に、飛脚が失業するからと郵便や鉄道に反対したり、産業革命期のイギリスで労働を奪う機械を壊したりしたようなものである。 ヒトの配偶行動も、哺乳類として本来あるべき姿、女性が男性を選択し、男性は女性に選ばれるべき努力する、という形に戻るべきである。 8章で、長く続いた恋愛社会主義の残した負の遺産をさらに詳しく考察しよう。


8:人は祖父以上の代から直接学ぶことはできない

2章からは生物学的な側面で、5章からは経済・社会的な側面で、それぞれ女性に選ばれるための努力をしない男性が少子化の原因であることを述べてきた。 ここで一転して、これを読んでいる方に一つ質問いたします。 「あなたは、思春期以降、ひいおじいちゃんと会話したことがありますか。」 ほとんどの方がNoと答えられたかと思う。 それこそ、4章で述べたような二十歳そこそこで親になる恋愛優等生が三代続いたようなケースでもなければ、思春期を迎えるころにはひいおじいちゃんは亡くなっていることが多いだろう。 つまり、我々が上の世代から直接会話を通じて何かを学べるのは、精々祖父までが限界なのだ。

さて。現在の結婚適齢期世代の男性の父親は、5章で述べた「男は仕事、女は家庭」、male choiceの時代で育ってきた。 そして、祖父の世代は戦後の男性欠乏時代である。 どちらも、奇跡的に男性が恋愛に苦労しなかった時代を生きてきた。 本来、文字も学校もない太古の昔から、男性は女性に選ばれるべく努力をしなければパートナーは得られない、ということを自然と、近世以前は6章で述べた若者組などを通じて教わってきたはずだ。 しかし、男性バブルのせいで、男性は努力をするべきだという、祖父から父へ、そして息子へという教えが途絶えてしまった。 いや、それだけでは済まない。高度経済成長期の神話、「しっかり勉強していい大学、いい会社に入れば、高い給料がもらえるし、そうすれば嫁さんも見つかる。」を、その神話の通りに生き抜いてきた父親の世代が語り続けることで、逆に若い男性を呪っている。 こうした説教を右から左に聞き流すいわゆるヤンキー層は恋愛経験が豊富なので女性に選ばれて夫に、父親になる反面、いわゆる真面目タイプの男性は、中高生の期間をただひたすら勉学にだけ費やしてしまった結果、社会人になっていざ恋愛をしようにも、女性を楽しませることができないから女性から拒絶されてしまう。 これが、高齢独身男性が増えた真の原因だったのだ。 無論、嘆いているだけでは仕方ない。9章からは解決策の考察に移ろう。


9:一夫多妻という解決策もあるが現実的には難しい

6章以降で述べた通り、男性バブルと恋愛社会主義が崩壊した日本。 このままだと、独身男性が増え、少子化が進む一方である。 解決策はないのだろうか。 いや、実は二つもある。 一つは、大型哺乳動物と同様に、モテる男性が女性を独占する一夫多妻制の導入である。 もう一つは、男性の恋愛能力を底上げし、より多くの男性が女性に選ばれるようにすることである。

法的な一夫多妻制度の導入は、下手をすれば憲法まで弄る必要がありかなり困難であるが、法律の改正でそれに近いことをすることなら可能である。 身も蓋もない言い方をすれば、国を挙げての「二号」の公認である。 モテる男性は複数の女性と関係を持ってもよく、どの女性に産ませた子供であろうとも扶養控除や児童手当の受給を認めることにすれば良い。 婚外子は増加するだろうが、少子化はかなり解決するであろう。

無論、日本人の国民性に一夫多妻は似合わないだろうし、上記を実現しようと思えば大規模な法整備が必要になることから、この案は著しく非現実的と思われる。 そこで、もう一つの案、男性の恋愛能力を高めてより多くの男性が結婚できるようにすることを本流として考えたい。


10:教育による男性の恋愛能力向上

9章で述べた通り、少子化の現実的な解決には男性の恋愛スキルを高めることが必要不可欠だ。 若者組がなくなり、祖父や父親からも恋愛のスキルを学べない現代の男性には、恋愛を学校や地域などで教えるべきである。 かつて寺子屋が果たした役割を学校教育が行っているように、若者組に代わって学校や地域社会が恋愛を教える。 あるいは有能な労働者となるために教育が行われるのと同様に、有能な男性・父親となるために教育をするのである。 ところで、時代によって人が社会の中で生きていくために必要な技能は変わるものだ。 例を挙げれば、数百年前は刀を扱えること、半世紀前はそろばんで計算ができることは、必須の技能であっただろうが、今はどちらもそうではない。 逆に、数百年前は英語など日本人はしゃべる必要はなかったし、半世紀前はコンピューターは一部の専門家しか触らなかったであろうが、今はどちらも社会人なら必須科目だろう。 このように、戦前や高度経済成長期には必ずしも必要ではなかった「女性にモテる」ことや「女性に積極的にアプローチする」ことは、現代社会において男性が父となるためには、必須のスキルである。

これまでの性教育では、早期にセックスをして望まぬ妊娠をしてしまうことを防ぐ面が多かった。 しかし、これからは逆である。 適齢期を迎えても恋愛ができず童貞である男性こそ問題なのであり、早期に父となる男性は語弊を恐れずに言えば問題児でなくむしろ優等生として考えなければならない。

ところで、我々の運動能力は10代後半から20代前半にかけてピークを迎える。 そして、男性の性欲や妊娠させる能力もその時代がピークである。 これは、暗に若い男性が父親となるべきであるという生物学な示唆である。 野山を駆け巡り、野生動物と闘った我々の祖先は、女性を巡って他部族とも腕力で争ったであろう。 もし、もっと年配の男性が父親となるほうが種の生存に有利なら、体力や性欲のピークはもっと高年齢になっていたのではなかろうか。 やたらと「女性は若くして子供を産め」という論客がいるが、彼らは中年のおっさんと若い女性のカップルが理想なのだろうか。 むしろ真逆である。相手を選び間違えてもリスクの少ない男性は早く伴侶を見つけ、リスクの高い女性はじっくりと時間をかけて選ぶのが正しい。 それに、若い男性が恋愛に向かえば自然と若い女性も結婚するだろう。

小学校高学年から中学生くらいの年齢で、以下の事実を男の子の頭にしっかりと刻み付けるべきだろう。 可能ならば、性教育の中でも教えるべきかもしれない。 女性は月経があり、男性は射精する、という当たり前の知識は、どうせ理科(生物)の時間で学ぶ。 それをわざわざ教えるくらいなら、そこから得られる帰結まで踏み込んで教えるべきである。 スローガンとしては、「少年よ、少女を抱け」とでもするのが良いのではないのだろうか。

既に学校教育を終えた世代には、別途恋愛スキルを磨く場が必要かもしれないが、その具体的な方法については別途考える必要がある。 失業者が就職に向けてITや英語を学ぶ場があるように、モテない男性が恋愛を学ぶ場が必要だろう。

一方で、せっかく高い恋愛スキルを持ち、若くして父親になれたのに、経済的な理由で中絶を余儀なくされたり、子供を虐待したり、十分な教育を受けさせられなかったりするケースも目立つので、彼ら若い父親が子供を持ちやすいように経済的な援助を与える必要があるだろう。 それこそ、男性のライフプランとして「いい大学を出ていい会社に入る」のと、「高卒で社会に出て早く結婚し若くして子だくさんのパパになる」のが経済的にも均衡するくらいの援助はしてもいいかもしれない。 20世紀の日本では、恋愛にうつつを抜かさず勉学に励み、いい大学からいい会社へと進むのをほぼ唯一の模範的なライフスタイルとしていたが、これからは、若いうちに恋愛経験を積み、早くパパになるライフスタイルを、今は巷でDQNと呼ばれるかもしれないが、光を当てていくべきである。 なお、この援助は必ず男性に与えるべきだ。女性に給付すると、下手をすれば給付金目当てで子供を産むような事態が起こりかねない。 本来、女性は選ぶのが仕事であるからやたらと子供を産むのは矛盾しているし、生活保護の不正受給に近い事態になってしまう。


結:モテない男を一人でも恋愛の場に出すためには

ここまで生物学、経済学などの難しい話が続き、「男性バブル」や「恋愛社会主義」といった新語も頻発する難解な文章を読んでいただいて恐縮であるが、ここまで読まれたのならば、少子化を解決する方法はもうおわかりであろう。 10章で述べた通り、以下の対策こそが少子化への最良の対策である。

男性の恋愛能力を底上げし、一人でも多くの男性が、積極的に女性にアプローチする。 そして、女性はその男性のアプローチを受け入れ、結婚し、子供が生まれる。 遠回りなようだが、このようにしていかないと少子化は解決しない。 一部の論客が言うように「男は仕事、女は家庭」を復活させようとしても時代錯誤なだけだ。 女性に出産を義務づけるような動きもあるが、女性の立場からすれば魅力的でない男性の子供を命を賭してわざわざ産む必然性がない。 むしろ、男性に産ませる義務を課すほうがまだ合理性がある。 また、一夫多妻も現実的には不可能だ。

近い将来、男性をターゲットとする少子化対策が本腰を入れて行われ、恋愛から降りる男性、恋愛で躓く男性が一人でも減ること、 一人でも多くの男性が父親になれることを祈って、ここで筆を置こうと思う。